『生きる』
投稿日:2011年2月10日義に殉じた男の苦悩は、どんなかたちで報われるのだろうか。
恩顧を受けた藩主が身罷(みまか)ったとき、石田又右衛門は死を覚悟していた。回りの者も殉じて当然と信じていた。ところが又右衛門は筆頭家老から、追腹はなくしたい―。生きて、その身で家中に示してもらいたい、死んだつもりで生きてくれぬか、と頼まれ、受け入れる。
「義」のためにである。又右衛門にとって、耐えることの日々がはじまった。周囲からの蔑視に身を切られる思いを追討ちをかけるように、父の汚名を雪(そそ)ごうと長男は切腹し、娘からは義絶される。ただひとり、自分を理解してくれる妻は他界してしまう。
生きれば生きるほど、恥辱に塗れ、醜態をさらすだけでは無いかと、自問自答を繰り返す彼は、筆頭家老に恨みつらみを綴る。ところが、書くことで見えてきたものがあった。己れの腑甲斐なさだった。この辺りは作者ならではの叙情的な筆致で、読む側の胸に迫ってくる。
十二年の時が過ぎ、幕府の殉死禁止令が出た。ある日、菖蒲の中の小道に女と若い侍が立った。又右衛門を訪ねた娘と孫であった・・・。
ラストシーンは、何度も読み返してわかってはいても、込み上げてくる涙を堪えることができなかった。
染地読書会 大出きたい
読書会おすすめの一冊。
紹介:アカデミー愛とぴあ