『蜆』

一般書

投稿日:2011年1月26日

梅崎春生著
講談社 2000年 1200円

「敗戦後の総武線に、ドアのない電車が走っていたなんて、信じられる?」
こんな話題が出たとき、意外にその事実を知る人が複数いた。当時、地方に住んでいた一人は、父親が仕事で度々上京していたが、いつもロープを持参していた。転落しないように、電車にからだと縛り付けるのに必要だったと言う。
「蜆」は昭和二十二年に書かれた。街は戦災で焼き尽くされ、荒涼とした風景のなかを、ドアのない満員電車が走る。「そんなに押すと落ちてしまう」と悲鳴をあげる女に、場所を入れ替わってやったおっさんが押し出されて転落する。咄嗟にしがみ付いた男の、外套からもげた黄色い釦をひとつ握りしめて・・・。
この「黄色い釦」は「外套」とともに、この小説のキー・ワードになっている。釦は男の祖父が山で撃取った、本物の鹿の骨で出来ている。電車のなかに蜆がいっぱい詰まったリュックを残して、おっさんは義侠心と引き替えに命を落とす。
リュックを持ち帰った男は無職。闇屋に落ちるには教養が邪魔をしていたのだが、おっさんのリュックを何の背徳感もなしに掠めてきた。これはどういうことだろうと思いはじめる。蜆が鳴くのを耳にしたとき、男は自身の偽善に気付く。
戦後の混乱した日本の姿が象徴的に、リュックの蜆と満員電車に見事に描かれている。特に会話では抜群の切れ味のよさが楽しめる。
柏読書会 大出きたい
読書会おすすめの一冊。
紹介:アカデミー愛とぴあ

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