黒い雨
投稿日:2007年8月10日井伏鱒二著 新潮社 (1989/06)
この作品は重松という人物を通して、二十年八月六日に広島に投下された原子爆弾による惨状が日記形式によって書かれている。
終戦の年、私は九歳で、青森県八戸市の海辺の町に住んでいて、戦争の恐ろしさを知らない。ピカドンは恐ろしいとは聞いていたが対岸の火事として今まで過ごしてきた。
この本を読んで大きな衝撃を受けた。と同時に、戦争とは何かということを改めて考えさせられた。広島を火の海にして大量虐殺を図った原爆というもの。人間が行った行為でこれ以上愚かで悲惨なものはないであろう。
『黒い雨』を読み、できることならここに書かれていることは小説であってほしい、作り話であってほしいと願った。でも、れっきとした事実なのだ。そのことに目をそむけてはいけない。今だって地球のどこかで毎日のように殺し合いが絶えないのだ。
この本を読んでから、雨を見ると<黒い雨>を思い出す。
雨は透明で細く、見えるか見えないものである。ところが、この黒い雨は<万年筆くらいの太さの棒のような>雨なのだ。そして、その雨にあたると、拭っても取れることがない。<皮膚にピッタリと着いているコールタールでもなし、黒ペンキでもなし、得体の知れないものである>。もう二度と、このような<黒い雨>が降ってくることがないように、心から祈らずにはいられない。
月曜読書会 阿部悦子