焼跡のイエス

一般書

投稿日:2008年7月9日

石川淳 作
講談社 2006年 1300円

昭和二十一年七月の晦日。翌日から市場閉鎖となる上野闇市界隈。
そこは〈あやしげなトタン板の上にちと目もとの赤くなった鰯をのせてじゅうじゅうと焼く、そのいやな油の、胸のわるくなるにおい〉が漂っている。にぎりめしには蠅がたかり、腹をすかせた人々が行き来し、店の人が客を呼ぶ金切り声が飛び交っている。
そこへ一人の少年が突如出現する。ボロとデキモノで身を固めた少年。家も親も失った浮浪児なのだろう。
その少年が、主人公である「わたし」の目にイエスに見える瞬間がある。服部南郭の風雅の跡を訪ねようと闇市から抜け出し、人の行き来が途絶えた所で少年に襲われた時だ。〈わたしがまのあたりに見たものは、少年の顔でもなく、狼の顔でもなく、ただの人間の顔でもない。それはいたましくもヴェロニックに写り出たところの、苦患にみちたナザレのイエスの、生きた顔にほかならなかった〉とある。
しかし、少年がスリであることも、「わたし」は気づいている。
この少年は誰なのか。イエスであるとすれば、なぜ上野の闇市に現れたのか。人々を救済するためか。これから先どう生きていったらいいか分からぬ人たちに手を差しのべるためだったのか。
何も怖いものがなく、何ものにもとらわれず、堂々と自由に市場の真ん中を歩いていく少年。その姿が、律法にとらわれず自由に教えを説いて回ったイエスの姿に重ね合わされたということなのだろうか。
草の実読書会   青木笙子
読書会おすすめの一冊。
紹介:アカデミー愛とぴあ

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