一般書

投稿日:2008年3月9日

佐多稲子 作
學藝書林 1994年

幾代が、上野駅ホームの駅員詰所の横でしゃがんで泣いている。亡くなったばかりの母親のことを思いながら泣いているのだ。
幾代が、田舎から出てきて神田小川町の旅館に働きに出たのは一昨年の冬。その幾代に「ハハキトクスグカヘレ」の電報が届く。主人はそれを見て「今から帰ったって富山までじゃ、間に合やしないよ」と言う。追って届いた「ハハシンダ、カヘルカ」の電文にも「あんたが帰ったって、死んだものが生きかえるわけでもないしねえ」と、主人の妻は引き留めようとする。
幾代は泣きながら身の回りの物と預金通帳を鞄につめて駅に来た。そして、しゃがんで泣き続ける。そんな悲しみの中にいながらも、幾代は出しっぱなしになっている水道に気がつく。そして、水道の蛇口の栓を閉めに行く。
水を止めることは、それまでの生き方の流れを止めること、幾代が自分の不甲斐なさにくぎりをつける、できればそう思いたい。水を止めたあと、毅然とした態度でホームを歩いていく幾代の背中を見ることができたらと思う。が、その後も幾代は泣くことしかできない。前の場所に戻って泣き続ける。
泣いている幾代に春の陽があたっている。まるで幾代を包み込むようなその光。その柔らかな光の中で、幾代はやがて立ち上がり、おぼつかない足取りであっても歩き始めるだろう。そんなことを暗示させる結びとなっている。
多摩川読書会    青木笙子
読書会おすすめの一冊。
紹介:アカデミー愛とぴあ

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