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一般書一覧

「父の旅 私の旅」

藤原正彦著

藤原正彦は作家新田次郎と藤原ていを両親に持つ数学者でエッセイストである。
この本は,新田次郎の最後の作品「弧愁 サウダーデ」の取材先であったポルトガルを,息子の藤原正彦が父の足跡を辿って旅した紀行文である。

海軍軍人であり作家であり神戸駐在ポルトガル副領事であったポルトガルの人モラエスは,徳島出身のヨネと結婚してから75歳で没するまで,故郷への深い想いに身を焦がしながらも心から愛した日本で生き続けた。
この孤高の人モラエスの想いに惚れ込んだ新田次郎が,最後に書いた作品「弧愁 サウダーデ」の取材に,モラエスを育てた国の自然・人・風土を自分の目で確かめるためにポルトガルを訪れた。そしてまた,その息子藤原正彦が父の取材ノートを携えて同じルートを辿りながら一人でかの地を旅行したのである。

モラエスの生家を訪れ,彼の望郷の想いを自分のものとしてやってきた父,そして父の想いを自分の想いとして作者が立つ。
望郷・懐かしさ・会いたいが会えないもどかしさ,これがポルトガルの「サウダーデ」である。父の想い・魂が自分に乗り移ったような気がして,モラエスの「サウダーデ」を追求することが父の「弧愁」の執筆の動機だったのだと確信した。

何の前触れもなく突然に訪れた父新田次郎の死を,現実のものとして受け入れることが出来なかった作者にとってはこの旅は大切なことであった。

 「ポルトガルの同じ空気を吸い,同じ人々と話し,同じレストランで同じ料理を食べ,同じ酒に酔い,父の想い出に溺れるほど浸りたかった。そうすることであっけなく私の視界から去ってしまった父にもう一度会えるような気がした。」と作者は述べている。

宮の下読書会    中川輝江


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「犬が星見た」 

武田百合子著 中央公論新社

 「星など見えはしないのかもしれないが・・・頭をかしげ、ふしぎそうに星空を見上げて動かない」犬が自分であった、と作者は書きます。
 本書の魅力は、作者の親しみやすい個性によるのか、ていねいな描写や、ちりばめられている絶妙な言葉の力によるのか。「鳥たちは広い空間をまるで進まず、はばたいているだけのように見える」そんなロシアの大陸を行く、すばらしい旅行記です。人間観察も痛快です。「その日食べたものを列挙するだけでもいい」と、そもそも作者に書くことをすすめてくれた夫の武田泰淳さんに感謝。この作品のなかでも、「富士日記」など他の作品のなかでも、食べ物というものの、読んでいてなんと楽しいこと!食べっぷり飲みっぷりの、なんと感動的なこと!
 当会の会員は、アカデミー愛とぴあの一サークルである「随想を書く会」のメンバーが大半です。作品の内容ばかりでなく、書き方についても話しあうことがあります。たとえばこの作品の場合、紀行文ってこんな風に書けばおもしろうのか、こんな風になら書けるかもしれない?・・・なんてことば、絶対に無理なのでした。これはもう、百合子さんの目を通してこそ成立した世界なのですから。

名作読書会 海本みどり

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もの食う女

武田泰淳 著

主人公の「私」、それに弓子と房子・・・この三人からなる話である。

弓子は知的な女性で新聞社に勤めている。一方房子は神田の喫茶店で昼の十二時頃から夜の十時まで立ち働いている。

この二人の女性の間で「私」の心は揺れ動く。弓子は男をひきつける顔立ちで、「私」は彼女にほれこんでいる。が、彼女は何かと忙しく、そう頻繁に会えるわけではない。弓子のおかげでいらだった神経も、房子と会って食事を共にすることで「私」は疲れを癒し深い安らぎを得ることができる。

弓子は、いつも「食欲がないのよ」と口にする。実際食べるものによってはジンマシンが出たり腹痛をおこしたりする。それに対して房子のほうは、何もかもじつに嬉しそうに食べる。

<私はビールを飲みながら、房子がたちまち三皿の寿司をたいらげるのを眺めていました。それはムシャムシャという感じではなく、いつのまにかスーッと消えてしまった風でした>

房子の、食べること食べること。豆ヘイ糖とハッカ菓子、アイスクリーム、渦巻パン、とんかつ、アイスキャンディ・・・・・。
そんな房子に「私」は次第に惹かれていく。

この房子という女性、生きることを素直に表出する、なんとも魅力に溢れた女性だが、それもそのはずで、この房子は後の武田泰淳夫人、百合子さんがモデルだといわれている。

栞読書会 青木笙子


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家守綺譚


梨木香歩 著 新潮社 2004

それはついこのあいだ、ほんの百年少しまえの物語、と帯に書かれて表紙には南天の赤い実が浮かんでいる素敵な装幀の本です。
サルスベリに始まる物語は、花から実まで二十八編で、そのサルスベリの木に惚れられたりするが学士綿貫征四郎という登場人物で、学生時代に亡くなった親友の実家の家守を始めた和風の庭にある樹木なのであります。
この出だしから引き込まれて、こちらまでふんふんとうなずいてしまう話なのです。
掛軸の中からボートで、亡くなった親友が訪れたり、その親友の高堂のことを書けと、原稿を取りに来る山内、居ついた犬の餌を届けがてらたずねてくる隣のおかみさん、和尚さん、河童、白竜、カワウソ、四季おりおりの天地の自然の「気」たちと新米精神労働者の「私」と庭つき池つき電燈つきの二階屋との明治時代、こんなのびやかな人間と生きものとの交歓、さもありなんと思う書物です。

緑ヶ丘読書会 菅谷久枝

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李陵


中島 敦 著

舞台は古代中国、前漢の光武帝(140BC~87BC)の時代匈奴に囚われた二人の武官(李陵と蘇武)都の文官(司馬遷)の物語。

◆李陵は五千の兵で匈奴の領地深く攻め込んだが刀折れ矢もつき捕虜になる。彼が胡地に生きているのを知った武帝は妻や子ら一族を抹殺。こうなったのは仕方ない事としても、「自分が故国に尽くした事と故国が己に報いたこと」を考え礼を尽くして迎えてくれた単于([ゼンウ]匈奴の王)に仕える。
「胡地の風俗は野卑でも不合理でもない、漢人の生活だけが美しいのではない、土地には土地の風習があり、それぞれに美しいのだ」と胡地の良さも見出し匈奴の女を妻として一子を設ける。武帝が亡くなり故国からの迎えも断り胡地に没。


◆蘇武は平和使節として匈奴に捕虜交換に行ったが不測の事故で全員拘束され降伏に応じなかった為北辺に放逐された。{飢餓・寒苦・孤独}の中「祖国の冷淡さも己の節義を改めなければならない程のやむを得ない事情ではない。自ら顧みて最後迄運命を笑殺し得たことに満足している」十九年ぶりに迎えられ故国に帰る。


◆司馬遷は李陵の降伏を貶める武帝の側近を嫌い、彼を誉めて武帝の怒りをかい、宮刑に処せられた後も編集中の(史記)一三〇巻を完成、六〇歳で没。

緑ヶ丘読書会 西宮 啓


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夢十夜


夏目漱石作

「名作」の人達と識り合ってから二十年近くなるか。みんな年をとった。五、六人はあの世に行ってしまった。残った人たちで楽しく本を読んでいる。

司会役の僕は、今日は十三人か、と出席者の数を算える。終って部屋を出るとき、後姿がひとりくらい増えてることがある。Nさんか。いつ入って来たのかな。久し振りである。そういえば、今日の本はNさん好みだなと思い付く。そして、Nさんが二年前にガンで死んだことも思い出す。どこに座っていたのか。TさんとKさんの間か。

忘年会のときに、花いちもんめ、あなたが欲しいッてNさんが迎えに来てたよ、ってTさんとKさんに教えてやるか。

こんなふうな想像を漱石の「夢十夜」は楽しませてくれる。

街並を風がゆるやかに吹き抜けるように、ごく平凡な生活を送る私達の心の中にも、悲しく怖いミステリーが存在するんだよ。おまえさんが気付けばね、と漱石は教えてくれる。

名作読書会 林 一夫

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桜の森の満開の下


坂口安吾作

古来から桜の花の下は人々に怖れられていたと、鈴鹿の山の桜の森の怖ろしさを記し、主人公の山賊がその謎を解こうとするものの十数年が経ってしまう。 

 ある日、山賊は絶世の美女を攫ってくる。男は女の命ずるまま、6人の女房たちを殺し、女の希望で京の都に移り住む。女は男の殺してきた人間の生首遊びに熱中するが、男は都の暮らしがたまらなく退屈になり、山に帰ることを決意する。女を背負って桜の森の満開の下にくると、女は口が耳まで割けた鬼になる。男が絞め殺すと元の女だった。

 男が我に返ったとき、その背中には白い花びらが散りつもっていた。
 そこは桜の森のちょうど真ん中あたり、ただひっそりと、そしてひそひそと、花びらは散りつづけている。絶対の「孤独」の中で男は初めて四方をみつめる。無限の虚空、それだけのこと。やがて女の姿は掻き消え、男も消えてゆく。

 「あとに花びらと、冷たい虚空がはりつめているばかりでした。」

 この物語は絵本にもなっている。当初、これは小説ではないと「新潮」の編集長に掲載を拒否されたという。満開の桜の下で酒盛り、カラオケに興じている現代人に、静謐な桜の美しさ、怖ろしさをこの物語から味わってほしい。来春は桜の森の満開の下で、この物語をたった一人で読んでみてください。

染地読書会 萩谷美子

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「自分の木」の下で


大江 健三郎  朝日新聞社 (2001/06)

 この作品は、作者が若い人に向けて、良心的に、誠実に語りかけたものである。朴訥な不器用ともいえる語り口のなかに、作者のもつ知性、優しさが滲み出ている。

 作者は、子供の教育の仕事に携わったことはないものの、障害を持って生まれた長男を通して深く経験し、考えることがあったと思われる。若者の未来を、憂いを交えて、それでも希望を失うことなくみつめているように思う。

 老人の入り口にいる私にとっても、参考になることの多い本であった。本当の知性の持つ強さ、豊かさを教えられた気がする。作者が「人生の習慣」とよんでいる習慣の力。「うわさ」に抵抗し、自分の目で確かめ、自分の心で考えることの重要性。少しずつ読書の力を鍛え、広げていく喜び。辞書を友に、一つの外国語を極めていく嬉しさ。どうすればよいかわからない問題に、それを括弧にいれて、時を待つことで対処していく方法。

 いずれも、静かで、力強い知性に対する憧れを呼び覚まし、今からでも遅くないという勇気を与えてくれる。父の遺してくれた英文の小説に挑戦してみようかと思っている。

   染地読書会 藤田裕子

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ノーザンライツ


星野道夫著  新潮社 (2000/03)

 ノーザンライツとはオーロラのこと。アラスカの空に輝く北極光のことを原住民の人々はそう呼んでいる。

 一九六〇年代こゝアラスカ極北の地に核実験場化が計画された(プロジェクト・チュリオット)。しかし先住民族の人々にはくわしく知らされていない。

 アラスカに魅了されここに住むアメリカ人女性ジニーとシリア。それに若き生物学者ビル。彼等は先住民族と共にこれを阻止する運動に立ち上がる。

 カナダとの国境沿いの原野に点在するエスキモー、グッチインデアン。彼等は文明を拒否し極北の地にひっそりと今も生きる。その彼等の抱える問題(核実験)がそっくりそのまゝ私達の問題であると云う驚き。カメラマンとしての著者のするどい眼が捉えた現代のおそろしさを痛感。来るべき時代の中で苦悩しながらも何か良い方向を見つけて行こうとする先住民達の姿に心打たれる。

『どんな人間の人生も語るに値するものだ』と云う著者の大自然とそこに生きる人々への暖かいまなざしと心情に深く心動かされる作品である。

 あまりにも早い彼の死が哀しい。

          宮の下読書会  田中智子

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黒い雨

井伏鱒二著  新潮社 (1989/06)

 この作品は重松という人物を通して、二十年八月六日に広島に投下された原子爆弾による惨状が日記形式によって書かれている。

 終戦の年、私は九歳で、青森県八戸市の海辺の町に住んでいて、戦争の恐ろしさを知らない。ピカドンは恐ろしいとは聞いていたが対岸の火事として今まで過ごしてきた。

 この本を読んで大きな衝撃を受けた。と同時に、戦争とは何かということを改めて考えさせられた。広島を火の海にして大量虐殺を図った原爆というもの。人間が行った行為でこれ以上愚かで悲惨なものはないであろう。

 『黒い雨』を読み、できることならここに書かれていることは小説であってほしい、作り話であってほしいと願った。でも、れっきとした事実なのだ。そのことに目をそむけてはいけない。今だって地球のどこかで毎日のように殺し合いが絶えないのだ。

 この本を読んでから、雨を見ると<黒い雨>を思い出す。

 雨は透明で細く、見えるか見えないものである。ところが、この黒い雨は<万年筆くらいの太さの棒のような>雨なのだ。そして、その雨にあたると、拭っても取れることがない。<皮膚にピッタリと着いているコールタールでもなし、黒ペンキでもなし、得体の知れないものである>。もう二度と、このような<黒い雨>が降ってくることがないように、心から祈らずにはいられない。

月曜読書会 阿部悦子

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蒼き狼


井上 靖著

新潮社 2006年 660円


成吉思汗の征服と闘争の一生。
 (上帝から命ありて生まれたる蒼き狼ありき、その妻なる惨白(あおじろ)き牡鹿ありき、大いなる湖を渉りてきぬ。モンゴルの伝承)

 一一六二年、黒流江上流の遊牧民の子として生まれた鉄木真(てむじん)は、全蒙古の部族を征服して成吉思汗(じんぎすかん)と名のる。

 西夏、ウィグル、金を征服しカスピ海、ロシヤにも攻め込む。
 敵に対しての徹底した破壊と殲滅行為、男は殺し、又は捕虜として兵に加え、財宝を奪い城郭には火を放って文字通り灰燼にする。

 女は奴婢かモンゴルの子を産ませる為捕虜とする。何故?他部族に略奪された母の胎内に生を享けた事で、蒼き狼の裔であることを自分自身に証明しなければならなかった。遠征中に幕舎で死去。六五歳。

                  緑ヶ丘読書会  西宮 啓


読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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鎌倉のおばさん


村松友視

新潮社 2000年 476円


 この作品は、村松氏のルーツを知る上でも興味深い内容でしたので推薦いたしました。「鎌倉のおばさん」とは、友視氏の祖父である文士、村松梢風の愛人で、終戦後鎌倉に三百坪の邸を購入し、昭和三十六年に梢風がなくなるまで住み、そのあともさらに三十四年その家に一人で暮らし、梢風の未亡人の役を演じぬいた人です。

 梢風という人は、一般的に考えると不思議な神経の持ち主でした、その日常からは妻子と家庭がすっぽりぬけていて、女性のもとを転々とし、また一時期は上海に渡りそこでも愛人をつくり日本へ連れて帰る、という具合です。

 そういう夫、父に対し誰も異議をとなえる者はいなかったのです。梢風が一家のなかでも飛び抜けた存在であったせいでもあるでしょう。

 鎌倉のおばさんは、梢風が自信を持てるように背中を押し、彼女好みの文士に仕立て上げ、鎌倉の家に落ち着かせたのです。

 彼女は“虚言癖”“作話症”があると言われていましたが、おばさんと著者がたまに逢って交わす会話は、掛合い漫才のように弾んでいて楽しそうです。

 終りのほうで著者は書きます。「俺にはフィクションを支えにしなければ心もとない時間の連続だった。梢風が去ったあと、フィクションとたわむれる日常を送らざるを得なかった『鎌倉のおばさん』と同じ病気ってわけか」。そのつぶやきは、おばさんへの愛情が伝わってくる言葉でした。

宮の下読書会 押切 よし子


読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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秀吉と利休


野上彌生子

新潮社 1992年 544円


 観光案内を見ると「大徳寺の三門(通称は山門)に利休は自分の木像を置いたので、秀吉から罪に問われて切腹を命ぜられたという因縁話はフィクションであり、今でも木像は安置されており歴史上の事実ではない」と書かれている。利休の死はいまでも謎となって、多くの創作や評伝が生れている。

 この物語は堺の豪商人でもあり、茶道の大成者でもある利休が堺の家での朝風呂の穏やかな描写で始まる。平素は京都聚楽第内に住み、茶頭にとどまらず、関白秀吉の政治のことまで相談相手になっている。秀吉にとって利休は、なくてはならない人であり、利休にとっても同じである。政治の場で天下の権力者である秀吉も、茶室で二人だけで向き合うとき、利休に威圧感を持ち、気後れを感じる。ある時、利休は朝鮮征伐の「唐御陣」計画に、「明智討ちのようにはいくまい」と義兄に口をすべらし、秀吉の耳に入り咎められ、秀吉のそのときの気分次第の勘気に触れ、切腹を命じられる。利休の木像は大徳寺の三門から引きおろされ、一条戻り橋のたもとで木像まで処刑された。

 野上彌生子は長編大作「迷路」を完成させた後、七十歳にして哲学を学び、市の哲学を追及し、利休の死を小説に書くべく膨大な資料を取り寄せ、七年の歳月を経て完成させた。

 人の心の二重にも三重にも潜む心の奥底の計り知れない動きを追求した作品でもあり、桃山文化の緻密な描写に作者の情熱を感じる。

             柏読書会           今村富子

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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短編集「冬物語」


南木佳士(なぎ けいし) 作

文藝春秋 1997年


 作者は佐久総合病院の医師である。「冬物語」は、患者や土地の人々とのふれ合いを私小説風に綴り、十二の短編が収められている。

 標題の「冬物語」は、医師になって二、三年目ワカサギ釣りに熱中していた頃、釣れると教えられた場所で湖に落ちたところを、園田かよさんに助けられる。かよさんは、脳出血の後遺症で三年前から寝たきりの夫を抱えて、ワカサギ釣りで生計をたてている。夫の安男さんは、たしかに回復の余地はなさそうだが、意識ははっきりとしていて、「いい笑顔をたたえて」いる。その頃の作者は、治療の成否とは無関係に、死すべきものは死んでいく冷酷な現実に、寝付かれない日々を過ごしていた。かよさんを師匠としてワカサギ釣りに熱中するときだけが心が安らぐのだった。二月初旬の朝、かよさんの夫が亡くなる。死亡を確認した作者がみたものは、「不思議になごやかな臨終の光景」だった。

 三百余の死を看取ってパニック障害になった作者の、弱い者、心優しい者への共感ともとれる、人としてのやわらかなあたたかみが作品に充ちていて、静かなぬくみが読む人を包み込むように感じられる。と同時に、これはノンフィクションではない、小説であるなら、事実と虚構は奈辺にあるのだろうかと、探ってみたくなる作品集でもある。
 心萎えたときに読んでみてください。

             宮の下読書会          荻谷 美子

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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佐多稲子 作

學藝書林 1994年


 幾代が、上野駅ホームの駅員詰所の横でしゃがんで泣いている。亡くなったばかりの母親のことを思いながら泣いているのだ。

 幾代が、田舎から出てきて神田小川町の旅館に働きに出たのは一昨年の冬。その幾代に「ハハキトクスグカヘレ」の電報が届く。主人はそれを見て「今から帰ったって富山までじゃ、間に合やしないよ」と言う。追って届いた「ハハシンダ、カヘルカ」の電文にも「あんたが帰ったって、死んだものが生きかえるわけでもないしねえ」と、主人の妻は引き留めようとする。

 幾代は泣きながら身の回りの物と預金通帳を鞄につめて駅に来た。そして、しゃがんで泣き続ける。そんな悲しみの中にいながらも、幾代は出しっぱなしになっている水道に気がつく。そして、水道の蛇口の栓を閉めに行く。

 水を止めることは、それまでの生き方の流れを止めること、幾代が自分の不甲斐なさにくぎりをつける、できればそう思いたい。水を止めたあと、毅然とした態度でホームを歩いていく幾代の背中を見ることができたらと思う。が、その後も幾代は泣くことしかできない。前の場所に戻って泣き続ける。

 泣いている幾代に春の陽があたっている。まるで幾代を包み込むようなその光。その柔らかな光の中で、幾代はやがて立ち上がり、おぼつかない足取りであっても歩き始めるだろう。そんなことを暗示させる結びとなっている。

             多摩川読書会    青木笙子

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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反骨のジャーナリスト


鎌田 慧 作

岩波書店 2002年


 本書は十人の個性的なジャーナリストの活動に迫ったものである。

 「元始、女性は太陽であった」の有名な言葉を残した平塚らいてうは高級官僚の娘として育ったが、世間の常識に捉われることはなかった。女に教育は無用とされていた一般社会の中で、女だけで作った雑誌「青鞜」を誕生させた。森田草平との情死未遂事件で新聞沙汰になったが、そのスキャンダルにもひるまない玲瓏さを持っていた。若い時代より女性の人間性に目覚め、後輩の女性たちを先導した。与謝野晶子、伊藤野枝、吉屋信子、市川房枝などがあとに続いた。

 桐生悠々は「私は言いたいことを言っているのではない。言わねばならないことを言っているのだ」と、昭和十年代の非常時体制のころ、「関東防空大演習を嗤う」と新聞に堂々と書く。この一文は広く世に知られる。笑うでなく嗤うである。軍部、政府に対する痛烈な批判である。反軍、反戦の論説を張って一生をつらぬいた新聞人であった。

 齋藤茂男は徹底的に弱者の立場に視座を捉え、新聞記事によって人間を書こうと努力した。一記者として生涯をとおした。不敵な洞察の奥に、やさしい視線を失うことはなかったという。

 いずれ劣らぬ反骨のジャーナリストたちの闘いの記録である。ペン一本にこめた信念の熱さ、強さにジャーナリストの原点を見せられた思いで興味深く読んだ。

                               針布読書会       小林美代

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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大根の葉


壺井 栄 作

新日本出版社 1980年


 海辺の村で母親と妹と暮らす健は五歳。二歳になる妹は、先天性白内障で眼が見えない。一日でも早く手術をするようにいわれている。遠く離れた神戸の病院へ行くのだ。その日、健はおばあちゃんの家で待っているように母親に言われるが、いっしょに行くといってきかない。ぐずる健に、母親は辛抱強く、ながい時間をかけて説得する。文中、作者は瀬戸内のうつくしい情景描写も忘れない。

 母親は両手を健の目に当てて目隠しをする。そして、目が見えないということはどういうことかを実体験させる。こどもの想像力を待つのだ。目が見えなくなったら、どんなに不自由で悲しいことかを話すのだ。

 ようやく健は納得し「おかあさん、健泣かんと待っちょるーー」と言う。健は自分でそう決めたのだ。「そこが大事」というAさん。「母親の情感のこもったはなしぶりに感心した。むずかしい理屈はなく、それでいて、きちんと説明している」と、Bさん。本書は親子のあいだのコミュニケーションのとり方などが問題とされている現在、古いようでいて新しい。

                                  月曜読書会   大出きたい


読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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父の詫び状


向田 邦子 作

文藝春秋社 2005年


 父がどんな〈詫び状〉を書いたのか、それが分かり始めるのはかなりたってからで、最初のほうはもっぱら伊勢海老の話だ。

 友人から貰った見事な伊勢海老を、〈どっちみち長くない命だから、しばらく自由に遊ばせ〉ているうちに、七、八年前にやはり伊勢海老を分けてもらった時に同じようなことをして、ピアノの脚に傷をつけてしまったことを思い出す。

 やがて〈父の詫び状〉へと話が進むのだが、じつにさりげなく次の話題へと読者をいざなう。この展開の見事さ、ユーモアにあふれた文章。名エッセイとはこういうものなのだろう。

 保険会社の地方支店長をしていた「私」の父は、宴会の帰りなどに、ほろ酔い機嫌で客を連れて帰ることがあった。ある日、そんな客の一人が玄関で粗相をし、その吐瀉物の始末を「私」がする。それを見ても、父はねぎらいの言葉をかけるわけではない。

 ところが、東京に戻った「私」に父から手紙が届く。そこには「此の度は格別の御働き」と書かれてあった。不器用な父のそれが精いっぱいの感謝の気持ちだったのだろう。

 こういう父親が私たちの世代の父親だった。家長として威張りちらしている手前、優しい言葉など口にできない。が、本心は人一倍子供思いの父親なのだ。

 ここに出てくる父親は、わたしの父の姿と重なり、子供時代のいろんなことを思い出させてくれる。

    栞読書会   青木笙子 

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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焼跡のイエス


石川淳 作

講談社 2006年 1300円


 昭和二十一年七月の晦日。翌日から市場閉鎖となる上野闇市界隈。

 そこは〈あやしげなトタン板の上にちと目もとの赤くなった鰯をのせてじゅうじゅうと焼く、そのいやな油の、胸のわるくなるにおい〉が漂っている。にぎりめしには蠅がたかり、腹をすかせた人々が行き来し、店の人が客を呼ぶ金切り声が飛び交っている。

 そこへ一人の少年が突如出現する。ボロとデキモノで身を固めた少年。家も親も失った浮浪児なのだろう。

 その少年が、主人公である「わたし」の目にイエスに見える瞬間がある。服部南郭の風雅の跡を訪ねようと闇市から抜け出し、人の行き来が途絶えた所で少年に襲われた時だ。〈わたしがまのあたりに見たものは、少年の顔でもなく、狼の顔でもなく、ただの人間の顔でもない。それはいたましくもヴェロニックに写り出たところの、苦患にみちたナザレのイエスの、生きた顔にほかならなかった〉とある。

 しかし、少年がスリであることも、「わたし」は気づいている。

 この少年は誰なのか。イエスであるとすれば、なぜ上野の闇市に現れたのか。人々を救済するためか。これから先どう生きていったらいいか分からぬ人たちに手を差しのべるためだったのか。

 何も怖いものがなく、何ものにもとらわれず、堂々と自由に市場の真ん中を歩いていく少年。その姿が、律法にとらわれず自由に教えを説いて回ったイエスの姿に重ね合わされたということなのだろうか。

    草の実読書会   青木笙子 

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断作戦


古山高麗雄 作

文藝春秋 2003年 1300円


 絶版となっていた「断作戦」「龍陵会戦」と、作者の死の三年前に出た「フーコン戦記」とを合わせた戦争三部作が文春文庫で出版された。画期的なことであった。

 作者の古山高麗雄は、六十歳を過ぎてから、三千メートル級の山が連なる現地を取材して、これらの作品を書いた。

 第二次大戦中召集され、万年一等兵として戦場に駆りだされビルマの山地で生と死のあいだを彷徨った。「断作戦」は、勝てる筈のない作戦であり、部隊は全滅した。

 この小説は負傷して意識を失ない、捕虜になり辛うじて生き残った二人が主人公。その一人が言う。「上の者がちっとばかり異常であったり馬鹿であったりしたら、それだけで、たちまち何千何万の者が殺されるのが戦争」。

 この言葉は作者の真実の思いでもあるだろう。作者は叫ばない。そこがいい。ただひたすら一兵士の、地を這う蟻の視点から、戦争の悲惨な事実を綴っている。さらに生き残りの、その一人がいう。「どんなものを食べても、騰越城玉砕の直前に、慰安婦が握ってくれた握り飯よりうまいものはないだろうなどと、すぐそう思ってしまう」と。

 「ビルマの戦闘といえば、語られるのは、つねにインパールである」と作者は短編「思うだけ」に書いている。しかし、インパールだけではなく、中国の雲南省でも北ビルマのフーコン谷地でも、同じように悲惨であったことを、古山高麗雄はこの長篇小説で語っている。

    柏読書会   大出きたい 

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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忘れられた日本人


宮本常一 作

岩波書店 1995年 1068円


 十年前の読書会で、この『忘れられた日本人』を取り上げた時は、「日本地図帖を広げて、四日間作者と一緒に旅をして出会えて良かった本の一冊!」とノートに記してあります。

 ──昭和十四年以来日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて活き活きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作──

 という解説の通りでありますが、中部、および西日本の社会を背景にした年寄りの方たちに対して、東日本の古老についてはたった二十三ページ唯一人だけの登場でしたが、現在の日本があるのはこのお年寄りたちが頑張ってくれたおかげですし、忘れられた人々を世に出してくれたこの作品を非常に貴重に思う私であります。
                              緑ヶ丘読書会   菅谷久枝

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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苦海浄土 わが水俣病


石牟礼道子 作

講談社 1990年 700円


  かの有名な水俣病は戦後公害の原点として心に刻まれていた。熊本不知火の沿岸では、猫が踊り狂って死ぬという最初の印象で、産業公害の恐ろしさを世に知らしめ世間を驚かせた。

 この本に接したのは、読書会のテキストであったが、第一章「椿の海」の導入部からひき付けられ、目を放すことができなくなった。
 そこに住む人々の素朴な方言で語り継がれる事実は精神、身体の苦痛に重ねて、生活を脅かし、人間性をも失わせ、何故こうなったかとも解らずに次々発病し被害が広がるおぞましさに慄然とする。

 チッソ工場の裏がわの産物は遠慮なく海に排出され、カドミウムを含んだヘドロは何と三米も堆積され、当然の事として食べた魚に毒がしみ着いて、漁をなりわいとする人達は勿論、周辺住民に奇病は広がっていった。

 イタイイタイ病と言われた病は公害として解明が遅れ、長い期間救済処置が取られなかった。チッソ工場や自治体、国は何をしていたのかと不信感がつのる。

 しかし、この作品は単なるドキュメンタリーではない。作者石牟礼道子の悲痛な叫びは被害に苦しむ住民全体の怒り、悲しみ切なさであり、読者の心を揺らさずにはいない。そして全面を包む温情に作者の心がうかがえる。
 時代は進み、公害は次々と発生し、いつも何所かで問題が提起される。マスコミは忙しく忘れっぽい。公害と言う恐るべき犯罪、人間が人間に加えた汚辱、水俣病を忘れてはならないと痛感した。

針布読書会  村越まつ代

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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非色


有吉佐和子 作

角川書店 1993年 544円


  戦争花嫁の物語である。

  どこにでもいそうな平凡な娘笑子は、空爆で焼け野原となった東京に母と妹と暮らしていた。敗戦後の東京にまともな仕事はない。笑子はやっと進駐軍の黒人専用キャバレーのクロークの職を得る。支配人ジャクソン伍長に見初められ、感覚的には拒否しながら結婚する。そしてジャクソンそっくりの女児を産む。周囲の好奇の眼の中、笑子は、すでに帰国し除隊している夫のもとへと渡米する。

  ジャクソンはニューヨークのハーレムに暮らしていた。自分一人が食べるだけで精一杯だった。日本では常に「自由と平等」を口にしていた人間とは別人のようであった。笑子は、働きながら次々に子供を産むなかで、考えるようになる。差別は何によって起きるのか。それは肌の色や貧富の差によるものではない。差別とは、人が自尊心を保つために他者を低く卑しめて見ることによって存在するものでないだろうか、と。

  主人公の笑子を通して、日本中が飢えていた占領下の日本をありありと思い出す。戦争を知らない世代の者は、国が敗れるということはどういうことかを考えるであろう。私は笑子といっしょに差別を考えるとともに、彼女の明るさやたくましさに元気づけられたのである。

染地読書会   大畑月子

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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林芙美子 作

講談社 1992年 951円


『──戦犯大臣が死刑台に立って死んだあと、その骨を貰いたいと大臣の夫人が嘆願していると云うことを新聞で見たけれども、道子はその記事を見て、急にわあっと声をたてて泣きたくなっていた。冷たい雨夜の街に出て、道子は男をひろうのだ』

小説の主人公・道子の夫は戦死、空っぽの骨箱だけが返された。子供の笑子と、病で動けない自分の父親と、肺結核で寝たきりの弟との四人暮しの生活は、道子の肩にかかっていた。生きるために、倫落していかざるを得ない苦況に追い込まれた。女の絶望感、虚無の先に見え隠れする、したたかさと悲しみ。作者はそのすべてを掬い上げ、描く。

芙美子の小説の世界を裏付けるように、宮本常一は「女の民俗誌」(岩波現代文庫)のなかで、昭和二十七年八月、故里・久賀の年齢階級別人口の調査をした際に気付いたこととして、次のように記している。『戦争の犠牲は戦場で死んでいった男たちや、戦災で無惨に死んでいった国民たちばかりでなく、その家をあずかり、その生産を引きうけていた力弱い主婦の上に最も大きく要求せられたように思うのです』

戦後の林芙美子は、戦争で運命を狂わされた庶民の姿を、それが作家の義務でもあるかのように、ひたすらに描いた。

                                 柏読書会     大出きたい

読書会おすすめの一冊。

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神谷美恵子日記


神谷美恵子 作

角川文庫 2002年 476円


 一九三九年 二五歳より一九七九年 六五歳までの四〇年間の日記です。

 津田塾在学中にキリスト教の伝道者である叔父・金沢常雄に誘われ、ハンセン病多摩全生園を訪れ、病に苦しむ人々を知り、自分の存在がゆすぶられる程の衝撃を受け、父に反対され乍らも医学に進み、其の後の生き方が大きく変化されたのではと思われました。又宮沢賢治の生活の後をたどり、精力の一滴たりともおろそかに費やさぬよう、そして自分もこの道に進むことが許されたらと願ったようです。

 四〇歳を過ぎ長島愛生園で癩患者の精神的調査を始めました。時には教授として悩める時には、あゝ愛生園に行かれたらあそこで又生気を取り戻すであろうと。病める人の中であっても愛生園が心癒される所であったかと思われます。患者を診療することが生きがいであるとも書かれております。

 家庭では夫・宣郎の妻として多忙の日々、お互いに良き理解者として支え合い、律、徹二児の母として自然を愛しやさしい愛情を充分にそゝぎ立派にされました。女性として若い時から病魔と戦い乍ら、英、仏、ギリシャ、ラテンの語学力。津田塾、神戸女学院の教授、その間海外との活動を続け多数の本も出版されました。

 知的環境に育ち稀な才能に恵まれた人間として、完全燃焼された神谷さん、こんな素晴らしい女性の日記と読書会での出合い、もっと深く知りたい。出版された本も読んでみたい心境になっております。

    針布読書会   反町とみ江

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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蕨野行(わらびのこう)


村田喜代子 作

文藝春秋 1998年 500円


 貧しい押伏村には六十歳を過ぎると蕨野という丘へ棄てられる掟があった。息子の後妻として嫁いできた若いヌイは何も知らされず姑を野入りに送って行く。

 暗く悲しい内容を「お姑(ばば)よい」「ヌイよい」と嫁と姑の温かな心の対話で小説は展開される。野での暮らしは九人のジジババのワラビ衆と共に行動や生死を共にする。ここでの掟は名前を捨てること、物言わぬこと。

 穏やかな春の日から冷たい夏、稔りのない秋、厳しい冬へと変わり、その間の二人の哀切な語りの中でヌイは寒村の真情を知っていく。

 悲惨な話を読ませる力は何か。小説の中を流れているのは溢れるばかりの互いへの思いやり、感謝。会話は文語体、方言でもない、「………やち」「………なり」「………ありつる」などリズムを持った特異な文体で不思議な雰囲気をかもし出し、読者を引き込む。

 飢えの極限を書いた描写は凄まじい。平和な現代では想像もつかないほどだ。

 良い暗示もある。大雪は来年の豊作を思わせるし、お姑(ばば)はやがてヌイの娘として転生するだろうことも分かる。

 この世とあの世の中間を描く作者独特の世界はあまりにも巧みだ。
 読書の醍醐味を深く味わった。

                                      名作読書会   林 あさ子

読書会おすすめの一冊。

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西行花伝


辻邦生 作

新潮社 1999年 900円


── 願はくは  花のしたにて  春死なん
          そのきさらぎの  望月の頃 ──

 有名な西行の歌である。西行はその生涯を心して歌一筋に生きた人である。それはすさまじい歴史のうねりの中にあって尚、祈りにも似た思いで歌に勤しむのであった。

 鳥羽院北面武士に伺候した日、平清盛との出会いがある。彼も北面の武士で同年齢であったという。二人はその後、別々の道を歩む。

 鳥羽院の女御待賢門院を心から慕ってしまった西行は、出家し隠遁生活に入る。二十五歳であった。

 身分の差がなくなり僧侶となってからの働きは目覚ましい。陸奥の旅、四国の旅、そして高野山への寄進と多忙をきわめるなかで、世の中を見る目の確かさが備わる。

 京の都に在って心を痛めたのは、崇徳院の苦しみの対決であった。その中にあって歌の道はいよいよ深められ、一切を放棄し、森羅万象のたたずまいを大切に思う事と説いていくのである。

 本の中に「よみ人知らず」について易しく解説した章に出遭った。「よみ人知らず」とは、歌が上手であっても身分の低い人、高貴な方、一族の参加者が多い場合等に用いたという。

 かつて若き日の西行も、「詞花和歌集」の時には、「よみ人知らず」として扱われ選入一首のみであったが、その後三十六年を経ての「勅撰集」には、十八首もの選入を得たのである。

 桜の気品をめでた西行は、その花盛りのもとで七十三歳の生涯を終える。

                                      柏読書会   御園生きく江

読書会おすすめの一冊。

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すばらしい新世界


池澤夏樹 作

中央公論新社 2003年 1300円


 主人公、甘野林太郎は技術系会社の中堅サラリーマンであるが、環境問題に取り組んでいる妻、アユミのNGOからの話を受け、思いもよらない旅立ちをすることになる。

 彼本来の電力製造機や発動機とは異なり、ごく小さな風力発電機をネパールの奥地の村に設置する仕事である。ヒマラヤからチベットへの強い風を利用して、数多くの小型風車により発電する、ということは、高い山々を命がけで馬で越えるという危険性を伴う。空気の薄い高地で、現地の人々と協力し厳しい条件のなかで、共に生活し奮闘する。

 その地で見たこと、感じたことを、妻や長男(小五)と、文明の利器でeメールを交し合う形で物語は展開する。

 秘境の地で生きる人々の環境や生活習慣、宗教に裏打ちされたおだやかな人生感に圧倒される。先進国という日本に暮らす自らをも含めて考えることになる。科学や技術、教育、利益優先型の社会、ODAの在り方、より安楽にぜいたくにと欲望をつのらせる人々──。

 この三人のメールには夫婦や親子間の思いやりと、問題点を共有し合い、お互いを大切にするあたたかさが満ちている。

 平易な文体で民族や国境を越えるべき何かを構築する知恵の必要性、先ず小さな単位(個人や家族)毎に自然と向き合い、共に生きる大切さ。その先こそ未来もあるのでは?とのメッセージを私は感じた。

                           緑ヶ丘読書会   藤嶋郁子

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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津軽


太宰治 作

岩波書店 2004年  525円


 できるだけ読書会では、まだ取り上げたことのない作者を読んでいきたいものです。でも現実には、是非もう一度、という本や作者があって、この作品はそんな一つでした。

 旅行記という形で津軽の地勢や風物や歴史が懇切丁寧に描かれながら観光案内的な感じが少しもしないのは、旧知の人々との交歓や懐かしい場所を再訪するなか作者独特の自虐的なほど正直な語り口をとおして、その生い立ちなりその後の人生なりが生々しく浮かび上がってくるから?というのが初めて読んだときの印象でした。

 そして内容がかなりの部分フィクションらしいとわかってきた二回めのときには、なるほど、とむしろ納得したのです。

 小説として読めば、乳母であり育ての親でもあった「たけ」と再会する場面は、いわば物語のクライマックス!

 フィクションとわかっていてもやはり感動します。随所にちりばめられたユーモアにくすくす笑いましたし、気がついたら以前よりもっと作者に感情移入していたのです。

 何度読んでも、読むたびに何か新しい発見があるような、そんな作品を持つことができた幸せをしみじみ……。

                                   名作読書会 海本みどり
読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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群青の湖 (ぐんじょうのうみ)


芝木好子 作

講談社 1993  621円


 主人公の端子は、東京・四谷で生まれ、大学の研究室で染色を学んでいたが、恋人で近江出身の青年と結ばれ身籠る。琵琶湖畔の旧家に嫁ぎ、入籍もされないまゝ、女児、桜子を産む。義父母に盡くし旧家での報われない暮らしのなかで、若くして病死する義兄が、看護する端子の美の感性を見抜き、湖北の奥深い湖面の群青の美と神秘さを暗示する。旧家の中で、余所者として扱われ、戸惑うばかりであるが、美を求める火種は消えることはない。

 やがて夫に裏切られ、自殺の場所を求めて湖北に行くが未遂に終わる。東京に戻り、旧家に対する愛憎をかなたに、湖北の紺碧から濃紺に深まる様子や、湖の縁辺を飾る夕暮の神秘性を求めて、染色と織物に賭ける道を選ぶ。

 芝木好子は社会が移り変わりゆく中、すたれ、孤立してゆく江戸の伝統文化、芸能、工芸などの世界を、女性の行き方を軸に小説の中で展開してきた。六十八歳のとき、染色工芸家の個展で「湖北残雪」という題の着物に出会い、その着物が語りかける奥琵琶湖の冬景色の澄んだ青に心を奪われる。

 著者は、その深さを求めて染色と織物の伝統が今も息づく近江、巧木、大原を訪ね、現物の「織物」を核としながらこの物語を生んだ。

 精神的に自立し、さまざまな運命と出会い、自分を磨いて生きる女性を書き続けた著者が、晩年に精魂籠めて書き上げた熱い思いが伝わってくる。

                                   柏読書会 今村富子
読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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夏の庭


湯本香樹実 作

新潮社 1994  420円


 人は死んだらどうなるのだろう。誰かが死んだらどんな気持ちになるのか。

 そんな好奇心から小学校六年生の仲良し三人組の少年が、独りで暮らすおじいさんの死を見届けようと見張りをはじめる。

 ところが、生きる屍のようだったおじいさんは、不思議なことに少年たちに見られていることで元気になっていく。いつしか少年たちの「観察」は、おじいさんとの深い交流へと変わっていく。

 少年たちと造った「夏の庭」を残しておじいさんは死ぬ。彼等は親しい人との死別の悲しみを実感する。

 「核家族化がすすみ、年寄りと接する機会が少なくなったけれど、ここで子供たちはおじいさんからいろいろなことを学ぶでしよう。これは貴重な体験だったと思う」とAさん。

 「何かあったとき、子供たちはおじいさんだったら何と言うだろう、と考える。これは大事なことだと思うし、思いやりの心にも通じる」というBさん。

 加えて本書は、戦争の苦い記憶を引きずっているおじいさんの側からも興味深く読むことができる。

                                   月曜読書会 大出きたい
読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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野火


大岡昇平 作

新潮社 1954  340円


 太平洋戦争末期、フィリピンのレイテ島。胸を病み喀血した『私』こと「田村一等兵」は、敗北が濃厚になった日本軍本隊から、芋六本で追い出される。

 彼は病院にも受け入れてもらえず、同じ状況にある兵士たちと連れだって、または一人で極度の飢えと衰弱に苦しみながら、米軍の攻撃やゲリラから逃れて山野を彷徨する。野草や自分の体についた蛭まで食べるという極限の飢餓のなか、兵士たちは猿の肉と称して屍肉を奪うようになる。

 『私』も「自分が死ねば食べてもいい」と言って亡くなった兵士の屍体を食べようとして剣を抜くが、左手が無意識のうちに止める。「汝の右手のなすことを、左手をして知らしむなかれ」という声が聞こえてくる。神は作品の中に暗示的に現れてくる。

 米軍の捕虜となり一命を取りとめた『私』は終戦後、東京郊外の精神病院へ入院する。
 戦場の草原のあちこちで高く上がっていた野火が、心象風景として彼の中に現れる。
 「火が来た。理由のない火が・・・・・・口を開いて迫って来る。煙の後に、相変わらず人間どもが笑っている」

 彼は、野火の中に何を見たのであろうか。
 妻とも別れ、狂人として病院で過ごす『私』は医師の勧めで悪夢のような戦場を追想し、手記を記す。

 『野火』は戦争の悲惨を感じさせるだけではなく、人間性を根本的なところで問いかける重い作品である。
                       染地読書会   土井芳江

読書会おすすめの一冊。

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殉死


司馬遼太郎 作
文藝春秋; 新装版版 2009 520円


 乃木さんが逝かれてそのお屋敷は、一般公開となり、公園と神社になった。

 昭和十年代の子供の頃、近くに住んで居たので(と言っても坂の下であったが)乃木さんへは、良く遊びに行った。
 大阪の人が豊臣秀吉の事を太閤さんと親しく呼ぶ様に、私共は大人も子供も「乃木さん」「乃木さん」と親しみと敬畏をこめて表現していた。

 正面から入るには乃木坂を登り切らねばならないが、当時は急で難所であった。入ると右手に煉瓦造りの馬小屋と続いて砂場。水飲み場からは、遠く山王神社の方迄見渡せた。左手には、乃木家の写真が飾ってあった。正装の乃木さん、袿袴姿の静子夫人。御子息勝典、保典、お二人は揃って軍服に背嚢姿で並んで撮ったものであった。

 お住まいは一階より陸橋のある、二階のほうが拝見し易い。東北の角は夫人の部屋であった。次の間に続いて自害されたお部屋がある。血痕のついた疊表は、掛け軸の様に、納められて立てて置かれていた。その場所は何時も静寂で、厳粛であった。

 明治帝が、帝王学を受けられて尚、希典が好きとされてしまう乃木さんの人間像は、作者の誠実な記述にくわしく、頭の下る思いである。

 乃木さんにとって殉死は、若い頃軍旗を失った時からの覚悟と察するが、静子夫人は当夜、十五分前に決められたと本にある。咄嗟のその心境は計り知れない。

 九月十三日は乃木神社の例祭である。

                 柏読書会 御園生きく江

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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日はまた昇る


E・ヘミングウェイ 作
新潮社 2003 660円


 作者の出世作。パリとスペインを舞台に、女を愛せない体になった男と彼を愛する女の、哀切ともいえる物語が大げさな感情表現を一切排したリズミカルな文体で描かれます。

 当会の共通認識の一つに、小説の主人公は魅力的であるべきだ、というのがあります。本書の女主人公ブレットはとても素敵だし、その刹那的な享楽の日々のなかから滲み出る悲しみに共感したものです。

 ヘミングウェイといえば「男」。この作品でも主人公のジェイクをはじめ、その周囲に登場する男たちひとりひとり個性が際立っています。その上で、男同士の友情というか、魂のぶつかり合いというか、そのあたりヘミングウェイの独壇場といえるでしょう。

 作品のキーワードは「時代」です。第一次大戦後の、帰る場所もエネルギーを向ける場所も失ってさまよう、ロスト・ジェネレーションと呼ばれる若者が存在した時代。

 この作品を私たちが読んだのは、たしかバブルの時代でしたが、今、読んだとしたら、閉塞感ただよう社会状況のなか出口を求めてもがく若者を思いうかべるのかもしれません。

 ちなみに個人的なことですが、はるか昔、学生だった私にアブサンという強いお酒を教えてくれた作品でもあります。

                   名作読書会 海本みどり

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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きけわだつみのこえ


日本戦没学生記念会 編
岩波書店 1995 903円


 「戦争というものは、いかなる戦争でも人間を追いつめるものである。相手に銃を突きつければ、相手もこちらに銃を向ける。これは追いつめられた状態の、最も単純な例である」と、最初のページで渡辺氏は語っている。以下は戦没者の遺稿の中より少し抜粋してみた。

①「空中勤務者(特攻隊)としての私は毎日が死を前提としての生活でした。私は自由主義に憧れていました」

②「俺の子供はもう軍人にはしない、軍人だけは」

③「叱られて土掘る兵は愛(いと)しけれ、世にある時の姿思えば」

④「汽車が通っていく。闇のなかにひとつらなりの記憶のような灯をともして。私の切られた髪がながれてゆくよ。髪よ、ふるさとよ、異郷の匂いよ──私は髪が生やしたい。夢にさえも」

⑤「人間の中心とは何だろう、事実とは真実のことではない」

⑥「蒼く澄みて鷗の遊ぶこの波の底、黝(あおぐろ)き死の光あり」。

 私は息をつめて読み終わった。人間は何で争い殺し合うのだろうか。この本の中のひとりひとりは、みんな自由と平和を願っているのに。

 戦後六十一年、平和な時こそ、そして戦争を知らない世代の人々こそ、手にとって読んで欲しいと願う一冊である。
 このような悲惨な戦いの無いことを祈りながら。

                        緑ヶ丘読書会 野口貞子

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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五重塔


幸田 露伴 作
岩波書店 1994 420円


 主人公は十兵衛という小才の利かぬ頑固な性格、技量はあるが世渡り下手な寺社建築大工で周囲から「のっそり十兵衛」と悔しいあだ名を付けられている。

 感応寺に五重塔建立の噂を聞くや、寺に乗り込み「自分にやらせて下さい」と平伏懇願する。許しが出ると一身を捧げ魔性に憑かれたように没頭する。完成後未曾有の激しい嵐に遭うが、塔は悠然とその美しい姿を聳え立たせていた。

 ご上人からも信頼厚い兄貴分の川越の源太の好意を忘れてはならない。ご上人の仏説もあり、仕事は十兵衛に譲り、なお温かいアドバイスを何度も与える。その都度けんもほろろに断る。

 嵐という人為を超えた自然の力に対し、十兵衛の技が見事に打ち勝つ様が心地良い勢いで生き生きと書かれている。

 落成式にご上人は、塔の銘に「江都の住人十兵衛これを造り川越の源太郎これを成す」と墨書両者に花を持たせた。爽やかな読後であり、楽しかった。

 が、その後十兵衛は立派な棟梁として、仕事に恵まれ輝かしい幸せな生涯を送っただろうか。生来の性格は一朝一夕には直らないので、やはり貧しい生涯になったのではと一抹の不安が過ぎる。

                      多摩川読書会   藤橋愛子

読書会おすすめの一冊。

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神の子どもたちはみな踊る


村上 春樹 作
新潮社 2002 460円


 小説の楽しみ方は、二通りある。

 まず、先入観なしで本を手に取り、その内容を一気に読み進めていく。そして個人の感性に基づいて一つ一つの内容を自分の中に取り入れ、自分の経験や感想を深める楽しみ方だ。ここまでは、本を読む人は誰でもしている事だと思う。

 そしてもうひとつの楽しみ方は、作者のこの本を書いた状況や考えを知り「そういう事だったのか」と驚き、感動し、そして新しい目でもう一度本に向かうというやり方だ。そうすると同じ内容でも全く違った見方ができ、違う本を手に取って読んでいるくらいの気がする時がある。

 この「神の子どもたちはみな踊る」も短編だけで読むのと、短編連作集の一つとして「UFOが釧路に降りる」「アイロンのある風景」「タイランド」「かえるくん、東京を救う」「蜂蜜パイ」をまとめて読むのとでは違う発見がある。

 一つ一つの作品の中にどこか共通のものを感じとることができ、「一体何だろう。これは?」と自分の中に小さな疑問が残る。そして作者について調べた時、これらの作品が、一九九五年一月の阪神大震災と同じ年の三月の地下鉄サリン事件をおこした宗教団体がいたという事にいきつく。

 作者はこの不安定な年に人々がどう暮らし、何を考え、どんな事をしていたか、を物語という形で私達に伝えようとしていた。

 それを知った時、もう一度本を手に取り、今までとは違う見方で、この本を読んでいる私がいた。
                      草の実読書会  吉川智子

読書会おすすめの一冊。

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宣告


加賀 乙彦 作
新潮社 2003 700円


 拘置所の朝は食事運搬車の重い音で始まる。死刑の宣告を受けた囚人達が収容されているゼロ番区は結構騒がしい。鉄格子の窓から通話、祈りの声、読経、歌声、泣き声。しかし朝の足音には敏感だ。今朝こそは、お迎えが来るのではないか、という恐怖だ。彼らはその恐れから何らかの精神不安症状を持つ。

 若い精神科医である近木はゼロ番区といえども犯罪者としてではなく、一人の人間として向き合い、話し合い手となり心に寄り添う。

 T大出の楠木は、インテリの家族ではあるが、物欲の争いが絶えない家庭に育ち、人間が信じられない。金のために殺人を犯す。神父の導きで洗礼を受けるが、墜落感発作症状に襲われる。

 叔父一家殺害の大田は飼っていた小鳥が死ぬと、自分の番だと言って発狂。学生運動の内ゲバで数人も処罰し、獄内でも革命を唱えていた唐沢は自殺。

 七人の女性殺しの砂田は硝子片での無数の傷跡があり、暴れるが近木の暖かい眼差しに触れ、解剖用遺体として役に立てることを誇りに思うと語り、消える。

 教育熱心な父に部屋に監禁され勉強を強いられた安藤は、離婚した母の家を探すうち、少女を強姦、殺害、殺人犯となり、獄内で泣き、笑い続ける。

 この小説は精神科医の著者が実際の勤務体験から観察した人間像を二十年の後、書き上げた。犯罪を犯す青少年達の裏には何があるのか。最近の殺人を犯す青少年たちを思い、その背景と、死刑とは、をつきつけられる。
                      柏読書会   今村富子

読書会おすすめの一冊。

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風音


目取真 俊(めどるま しゅん) 作
リトルモア 2004 1365円


 この作品は第二次世界大戦末期の沖縄戦にはじまり、祖父・父・子の三代にわたる戦中戦後の激動の沖縄が背後にある。

 泣き御頭(うんかみ)は崖の上の風葬場に白い砂の半ば埋もれた遺体の頭蓋骨から高く低く響く。その音は海を渡ってきた風が眼窩を吹きぬける際に頭骨の空洞に反響して起こるのだと云われる。

 風音が鳴り出すと、聞く者は御尊(うーとうと)御尊とつぶやき、風音が暗い崖下の細い径にさまよい響いてくると胸の底までしみこみ畏敬の念にとらわれる。沖縄の地形、福木・マングローブなどの植物、蟹、大コウモリなどのいきもの、自然をからませてその時の登場人物の心の問題を掘り下げて描いている。

 自分の老いと、四十年近くごまかした記憶と、死ぬまで向かい合わねばならない清吉、また報道関係者藤井の生き残った特攻隊員としての、苦しみの中から生きる道に辿る心のあり方が緻密に丁寧に書かれている。忘れられない作品である。

                      宮の下読書会   中川輝江

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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祖国とは国語


藤原 正彦 作
新潮社 2005 420円


 この本には、主に2000年から三年ほどに書かれたエッセイが集められている。

 その中の「国語教育絶対論」という題のものが本書の中心的テーマで、そこでは① 日本再生の急所、② 国語はすべての知的活動の基礎である、③ 国語は論理的思考を育てる、④ 国語は情緒を培う、⑤ 祖国とは国語である、⑥ これからの国語、となっていて、特に⑤に著者の考えが熱っぽく述べられている。

 先ず、祖国とは血ではないと言う。どの民族も混じり合っていて、純粋な血など存在しないと言う。また祖国とは国土でもないと述べる。世界は有史以来戦争の度に占領したりされたりしてきた。祖国とはまさに国語であって、国語の中に祖国を祖国たらしめる文化・伝統・情緒などの大部分が包含されているのである。国語は情報伝達の手段に留まるものでなく、先に挙げた② ③ ④ の力となるものだから、我が国でも小中学生に国語の授業時間数を多くする必要があると論述されている。

 最後のエッセイが「満州再訪記」である。藤原氏の生地である旧満州の新京(現長春)を、母「藤原てい」さん、奥さん、三人の息子さんとで訪れた際の紀行文で、ユーモアや叙情が滲む文章である。また十九世紀以来の各国の植民地争奪、日本と満州との関わり、終戦直前のソ連軍の侵攻等の世界史が詳しく語られ、満州の中央観象台に勤務中だった氏の父「新田次郎」氏の御家族の受けた終戦時の苦難が書かれている。

                      宮の下読書会   大塩直子

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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博士の愛した数式


小川 洋子 作
新潮社 2005 460円


 博士と呼ばれる数学者、交通事故がもとで八十分しか記憶が持続しない。その博士の家に家政婦紹介組合から派遣された「私」が訪ねていくところから話が始まる。

 博士は数学を愛する気持ちがいつも心にあり、それを他者に伝えようとする。たとえば「私」が初めて家を訪ねた時、博士は「私」の靴のサイズを訊く。「24です」と答えると、「ほお、実に潔い数字だ。4の階乗だ」と褒めたたえる。「私」の家の電話番号、誕生日、野球観戦に行った時の座席番号など、博士にとって数字はすべて意味を持つ。

 博士は〈素数〉が好きだ。どの数によっても割ることのできない〈素数〉。それは博士の孤独な存在、単独者を象徴している。

 この作品は数学のすばらしさをうたっているが、それと同時に、いかに子どもは大事か、大切にしなくてはいけないかが博士によって語られる。

 「私」の息子が一人で留守番をしていると知った時の博士の驚き。「私」にその子を家に連れてくるようニと命ずる。その子に初めて会った時の博士の喜びようといったらなく、その男の子の頭の形から、〈ルート〉と名付ける。

 博士と「私」とルート。人間と人間とを結びつけるのは言葉だけではない。数学もまた言葉同様、ひとが心を通い合わせるのに大事な役割を果たすもののようだ。

 数学は算術の世界だけとは限らない。数学にもロマンティシズムは存在する、そんなことをこの作品は教えてくれる。

                            月曜読書会   青木笙子

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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密約・外務省機密漏洩事件


澤地 久枝 著
岩波書店 2006 1050円


 今から三十四年前、昭和四十七年五月十五日、佐藤内閣のもとに本土復帰した沖縄。その返還にあたり、本来、米国が支払うべきであった返還軍用地復元費用の四00万ドルを、日本はその肩代わり支払いに応じ、アメリカが支払ったように見せかける外交文書の作為をおこなった。

 佐藤内閣の命取りともなる「密約」の存在は、国会でも大問題となるが、その証拠をつかんだ毎日新聞記者の西山太吉と、それをもたらした外務省事務次官の蓮見喜久子は、秘密電文持出しにかかわる国家公務員法違反に問われて告発される。起訴状にある「ひそかに情を通じ」云々という表現によって新聞の論調もかわり、「機密漏洩」の手段だけが、ことこまかに詮議され、政府側の責任はみごとにすりかわっていく。

 蓮見事務官と著者は同年同月生れで、十日あまり著者が早く生まれている。苦学生としての青春と闘病、という共通する時間も持っている。同性としてその置かれた立場に寄り添おうと努め、立ち直ってもらいたいとの思いが出発点だったと著者は書いている。

 本書は、一九七八年八月、中央公論社より刊行、つづいて中公文庫に入る。その後長く絶版状態におかれていたが、今年二〇〇六年八月、岩波現代文庫に入った。

                       緑ヶ丘読書会 加 文子

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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夏の花


原 民喜 著
集英社 1993 380円


 原爆の悲惨さは言葉では言い尽くせない。どれだけ多くの言葉を費やしてみても、現実のほうが遙かに超えている。そうであっても、作家はあの無惨な人々の姿を書かずにはいられない。

 原民喜はこう書いている。「原子爆弾の惨劇のなかに生き残った私は、その時から私も、私の文学も、何ものかに激しく弾き出された。この眼で視た生々しい光景こそは死んでも描きとめておきたかった」と。

 〈私は街に出て花を買うと、妻の墓を訪れようと思った。〉
 この作品はこういう書き出しで始まる。「私」は墓に供えるために黄色い花を手にしている。
 その二日後、「私」は原爆に襲われる。厠にいたため一命を拾った「私」は、地獄と化した光景に次々と出遭う。

 〈男であるのか、女であるのか、殆ど区別もつかない程、顔がくちゃくちゃに腫れ上って、随って眼は糸のように細まり、唇は思いきり爛れ、それに、痛々しい肢体を露出させ、虫の息で彼等は横たわっているのであった。〉
 〈川の中には、裸体の少年がすっぽり頭まで水に漬って死んでいたが、その屍体と半間も隔たらない石段のところに、二人の女が蹲っていた。その顔は一倍半も膨張し、醜く歪み、焦げた乱髪が女であるしるしを残している。〉
 〈バスを待つ行列の死骸は立ったまま、前の人の肩に爪をたてて死んでいた。〉

 むごたらしい光景を描いているにもかかわらず、不思議な静謐さが作品全体に流れている。それだけに原爆の怖さがよりいっそう胸に迫ってくる。

                       宮の下読書会   青木 笙子

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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祭りの場


林 京子 著
講談社 1988 1260円


 昭和二十年八月九日、長崎市に投下された原子爆弾の爆圧などを観測する、観測用ゾンデの中に入っていた降伏勧告書文の文言から、この作品は書き始められる。そして、アメリカ側の編集による原爆記録映画の最後、「かくて破壊は終わりました」を結びの言葉とする。

 このことからも分かるように、小説というより記録文学に近いものがある。そのことをよりいっそう強く感じるのは、被爆当時はまだ解明されなかった事実を、次々と文中に挟み込んでいることだ。

 作者自身が被爆し、逃げまどうなかで見た地獄絵図を描くと同時に、出来うる限りの情報を作中に投入する。そこには事実を事実として正確にとらえ、それを間違いなく伝えたいという作者の強い意思が感じられる。

 作者は、爆心地から一・三キロ離れた地点で被爆した。学徒動員として三菱兵器大橋工場にいたのだが、その工場には七千五百名が働いていた。そのうち六千二百名が行方不明だという。
 〈昭和二十年九月二十四日以後の調べである〉という言葉が添えられている。

 「私」のいる工場の建物の前がコンクリートの広場になっていて、その日、そこでは、出陣学徒を戦場に送る無言の踊りが踊られていた。踊りの輪には大学生も混ざり四十人はいたという。
 原爆投下後、〈広場で出陣の踊りを踊っていた学徒らは即死、火傷の重傷者は一、二時間生きた。〉とある。

                       多摩川読書会   青木 笙子

読書会おすすめの一冊。

紹介:アカデミー愛とぴあ

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